第11話
脅迫という手段
治彦はコバルトブルーの空を見上げていた。
秋の装いを増した乾いた風に吹かれながら、赤錆の浮いた鉄の柵に寄りかかっていた。
だだっ広くて、がらんとした校舎の屋上。
たった一人で佇むには寂しすぎるその場所で、かれこれ三十分ほどだろうか。
少年は待ち続けていた。
「やっぱり来ないか」
投げやりにつぶやいてみた。
強張った身体をほぐすように、鉄柵に預けた背中をぐっと反らせた。
「ファイト! ファイト!」
溌溂としていて切れのある掛け声が、真下に拡がるグラウンドから届けられる。
風に乗って、治彦の耳にもささやきかけてくる。
「帰るか……」
そんな青春した風のメロディーに、治彦は背を向けた。
ズボンのポケットに手を突っこみ、寄りかからせていた背中を起こした。
背中を曲げ気味に、すれた大人を演じてみせながら、昇降口の扉へと向かう。
(智花には内緒にしないとな。あいつが知ったら、どんな顔をするか……)
ポケットに差し込んだ利き腕が、薄っぺらい紙切れに触れていた。
それを指先でもてあそびながら、堅く閉ざされた鋼鉄製の扉の前に立ち……
ガチャ……
目の前のドアノブが勝手に回った。
立ち尽くす治彦の側へと、ペンキの剥がれた扉が開けられる。
若い男女が、顔を見合わせ……
「お、大山君……」
「き、来てくれたんだ……」
交わし合う声は、二人とも上ずらせていた。
治彦がステップを踏むように後ずさりをし、ショートヘアーの少女が、吹き寄せる秋風に髪のサイドを押さえながら、小さく足を進ませた。
「犬山君、大切な話ってなんなの?」
「山中さん……だよな?」
会話はすれ違っていた。
いや、核心の部分ではつながっていた。
校舎の屋上の遮る物の何もないところで、治彦は向き合っていた。
険しい表情をした少女、山中真由美と、数メートルの間を空けて対峙していた。
「なんのことか分からないわ」
真由美は首を振った。
ブラウスのポケットから半分に千切られたレポート用紙を摘み出すと、ヒラヒラとさせた。
「分からないなら詳しく話してやるけど、それでもいいのか?」
治彦は大きく一歩踏み出した。
険しい中にも怯えを見せ始める真由美に、低く落とした声をぶつける。
「な、仲がいいのは構わないけど。こ、恋をするのも構わないけど。でも、あんなことって……イケナイわよ、まだ……」
「もしかして、妬いているのか? 俺と智花の関係を?」
「バカにしないでよ! わたし、帰るから……」
どちらかと言えばおとなしい彼女であった。
クラスの誰かが噂していた。
『壁際に咲く美少女』だと。
そんな真由美が、声を荒げていた。
面長な日本人形のような涼し気な顔に似合わない怒気を含ませて、身体の向きを反転させようとして……
「別に止めはしないさ。と言うより、さっさと帰った方が、山中さんにとっても無難かもな」
「無難……?」
膝丈のスカートから伸びる足が、半歩押し出されて止められた。
治彦が投げた意味深なセリフに、ブラウスを羽織る背中がビクビクと反応する。
「智花が来ることになってるんだ。もうすぐここへ」
ゆっくりと、語り聞かせるように、治彦は話した。
乾いた秋風に包まれながら、額ににじみ出た汗をさり気なく拭った。
「ダメ……智花を呼ばないで……」
背を向けてまもない身体が、再び向き直っていた。
「ここで変なことなんて……絶対にだめだから……」
「変なこと? 言ってる意味がわからいな。俺はただ、智花と……」
一定の距離は保たせたまま、真由美は見つめていた。
とぼけて、はぐらかして、それなのに両手を前に突き出す治彦を。
何も無い空を揉みこむように、十本の指をやわやわと動かすジェスチャーへ、怯えと怒りを同居させた眼差しを送りながら。
(俺はなにをしようとしてるんだ? 俺の身体は、どうしてこんなことを?)
呼び出して聞き出したかっただけなのだ。
真由美の本意を?
一度ならずも二度まで、男女の関係を結ぶ二人を目撃し、彼女がとってみせた行動の真意を?
「セ、セックス……」
「今、なんて言った?」
「だから……智花とセックスを……ここで……」
聞き取れたのは、吹き寄せる風のお蔭かもしれない。
けっして答えを求めたわけではなかった。
けれど、隠し持つ少年の本能が望むソレを、ショートヘアーの美少女は口にした。
顔の肌を薄紅色に染めながら、薄く息を吐き洩らすようにさせて。
「山中ってさ、男とは経験があるのか?」
治彦は足を進ませた。
真由美との距離を一気に縮めた。
「嫌……近寄らないで……」
一歩進めれば半歩分。
二歩進めれば一歩分。
真由美は足を後退させる。
上履きを履かせた足をすべらせながら、怯えが勝った顔を真横に振った。
「その表情からすると、バージンってことだよな。智花と違って……」
「あの子の名前を出さないで」
「あの子? ふぅーん」
見つめられて、にらまれもして、一方的に注がれる真由美の視線を、治彦の瞳は押し返した。
脳にピンと響く気になる単語を口ずさみ、それから鼻を鳴らしてみせた。
「もしかして、お前……智花のことを……」