第1話
真っ赤な砂時計・その1
12月18日 火曜日 午後8時 二宮佐緒梨
わたしは何もない部屋の壁に寄り掛かっていた。
本当に何もない部屋……
机もベッドも椅子さえもない。
窓はあるけれど、開けたって汚れたビルの背中が見えるだけ。
それに今は夜だから、外は真っ暗だし。
今は冬だから、凍えそうな冷たい空気が入ってきちゃうし。
ええっと……そうだ、忘れてた。
この部屋って、エアコンがあったんだ。
さっきからゴーって音を立てて、部屋を暖めてくれている。
だからわたしは、こんな中途半端な服装でも寒くないんだ。
下半身は、足首まで隠してくれるロングスカートを履いているのに、上半身は猫のキャラクターがいっぱいプリントされたブラジャーだけ。
可愛いおへそも丸見え。
でも、別にお風呂上がりって訳じゃないよ。
これが、佐緒梨(さおり)の衣装なの。
毎晩、お客様をお迎えする衣装だから、これって佐緒梨の仕事着ってとこかな?
あっ! 階段を昇る足音が近づいて来る。
コツコツとハイヒールの軽い音が、たぶんお義母さん。
それと、コツンコツンと低い革靴の音が、たぶんお客さんだと思う。
やがて、ドアノブにカチャリと鍵が差し込まれる。
塗装が剥げかかったみすぼらしいドアが、油の切れた音を残しながら開いていく。
「い、いらっしゃいませ♪♪」
わたしは、弾かれたように部屋の真ん中に立つと、強張りかけた顔の筋肉を『メッ!』って叱って、急いで笑顔を作る。
そして、両手を前に添えて腰を90度折り曲げた。
「えっ! い、いや……あの……まさか、本物の女子高生なの? それも、こんなに可愛い……」
「だから言ったでしょうぉ? お客様、うちは看板に偽りなしだってぇ……ねぇ、サリー。そうでしょう?」
お義母さんが、お客様の肩を撫でながら訊いてきた。
「は、はい。お客様。サリーは学校から帰った後、宿題を済ませてお客様が来られるのを、ずっと待っていました♪♪ わたしを……ううん、サリーの女の子を見てもらいたくて……」
「ね、わかったぁ? お客様、それで今夜はどうされますぅ?
ノーマルプランだと、10分で5千円ね。ただし、これだと覗くだけよぉ。
あと、オプションとして、舌で舐め舐めが3千円。指でイチャイチャも3千円。
玩具……えーっと、ローターは3千円で、バイブだと5千円。延長料金は、3分3千円ね」
お客様の耳元に顔を寄せて、お義母さんが囁いている。
いつもの商売用の甘ったるい声で……
わたしはその間、さりげなくお客様をチェックしていた。
黒縁のメガネを掛けた、ちょっと気の弱そうなおじ様。
でも、初めて見る顔。
年令は……たぶん40才くらい。
会社帰りのサラリーマンさんかな?
紺色のネクタイをして、上下とも茶色のスーツでまとめて、その上、黒い革製のカバンまでぶら下げて……
奥さんとかいないのかな?
子供さんは……?
真っ直ぐ帰らないでいいのかな?
待っている人は、誰もいないのかな?
誰も心配していないのかな?
「えっ、ええとぉ……の、ノーマルに、あ、あとオプションの……その……舐めるのを付けてでお願いします」
「はい。ノーマルプランに舐め舐めをセットね。それじゃあ、8千円いただくわ」
わたしのチェックは、ふたりの会話にかき消されていた。
ブランド柄の財布から抜き取られた5千円札1枚と千円札3枚が、派手なネイルアートの指に絡め取られている。
「あと、プレイ中でも追加は、OKだから。そのときはいつでも、そこの壁にあるボタンを押してね。まあ、分からないことがあったら、その子に聞いてちょうだい。
それじゃあ、サリー。お客様に失礼のないようにね」
お義母さんは、おじ様からもらったお金をそのままスカートのポケットに突っ込むと、さっさと部屋を出て行った。
きっとまた、次のお客様を探しに行ったんだ。
そう思うと、佐緒梨の胸にちょっとだけズキンッって痛みが走った。
別に今日が初めてでもないのに……
佐緒梨は、もう女の子を捨てさせられたのに……
だから絶対に、この笑顔の表情を崩したりしない。
「お客様。本日は、『マッチ売りの少女の部屋』へお越しいただき誠にありがとうございます。限られた時間ではありますが、わたしサリーが出来る限りサービスしますので、お客様も心ゆくまでご堪能くださいね♪♪」
わたしは、くちびるが覚えてしまったセリフを当たり前のようにつぶやくと、お客様を見つめた。
そして真っ赤な砂の入った砂時計を、逆さにして床の上に置く。
「では、お客様。この砂が落ちきるまで、サリーの女の子と仲良くしてくださいね」
「あ、ああ」
わたしは、戸惑うお客様の右手に銀色のペンライトをそっと握らせ、両足を大きく開いた。
そのままスカートの前裾を軽く持ち上げて促した。
「お客様、どうぞ。サリーのスカートの中で、愉しいひと時を……♪♪」