第4話
尻文字
3月30日 日曜日 午後8時40分 岡本典子
「あれから8年か……いい身体に仕上がったな。俺が女にしてやった頃の典子は、まだ熟れる前の林檎のような肢体だったが、男を知った女の熟れ具合は、今が食べ頃のようだな。風船のように張り詰めた乳房にしろ、むっちりとした太腿にしろ……おっと、あの恥丘にひとつまみしかなかった陰毛が、今では立派な逆三角形か……ははははっ……」
「うっぅぅっ……! もう、仰らないでください……恥ずかしい……」
河添の恥辱を煽る指摘に、心のバランスが大きく傾いてしまう。
長らく味わうことのなかった激しい羞恥心に、顔が焼けるくらいに火照り、私は逃れるように窓ガラスに背中を押し付けていた。
ヒンヤリとするガラスの冷たさに、むき出しのお尻がブルッて震える。
心の底まで、ブルブルと震えだしている。
「おいおい、処女だった頃の典子じゃあるまいし、いつまで怯えているんだ。さあ、俺に気に入られたければ、もっと熟した自分をアピールしてみろ。そこの椅子の背もたれにでもしなだれて、いやらしくケツでも振ってみるんだな」
河添が、窓際で向かい合う2脚の木製の椅子を指差した。
そして私の淫らな行為を鑑賞するつもりか、ベッドから立ち上がると、左側の椅子に足を投げ出すようにして腰かける。
ガウンの裾がまくれ、開いた両足の間からは、浅黒い顔に負けないくらい黒くて筋張った肉の棒が準備万端という姿でそそり立っている。
「私……私……」
半年ぶりに目にする男のモノ……
AV女優が行うような淫らなプレイ……
夫でもない男の前で裸になるだけでも死ぬほど辛いのに、その上、男を誘うようにお尻を触れだなんて……
こんなのひどい……ひどすぎる……!
典子には……
「どうした? やれないのか? やりたくないのか? この程度のことでギブアップなら、俺はお前の面倒を見るなんて真っ平ごめんだ。さっさと、おうちに帰るんだな」
河添は突き放すようにしゃべると、どこまでも拡がる街の明かりを楽しむように、窓の外へと目を向けた。
目の前に突っ立っている裸体には、興味を失ったかのように。
博幸……私……
『僕の夢はね、みんなの笑顔をつくる商売をしてみたいんだ。愛想笑いじゃない。みんなが心から笑える仕事をしたいんだ。僕たちには厳しくて辛い道程だけど、協力してくれるかい? 典子……」
ふたり手を繋いで、高台の公園から夕暮れの街を眺めながら呟いた博幸の言葉。
あなたの……あなたらしいプロポーズ……
こんな高い所から見下ろすんじゃなくて、街の明かりをもっと身近で……
そのために……そのためなら……
「……わかりました」
私は、ガラスに映り込む河添の目を見てうなずくと、空いているもう一対の椅子へと向かった。
意識して踏み出すつま先を内側に、過剰なくらい肩を右左と揺らして。
お尻を大きく振って、いやらしく背中のラインまでくねらせて。
そう。今夜は、私の……岡本典子の覚悟が……私達の夢が試される初めての日。
今この瞬間から、典子は蔑まれたハシタナイ女になるの。
男を悦ばせ、手放したくなくなる女にならないといけないの。
私は椅子の背もたれに両手を回すと、座席部分に乳房を押し付けて背筋を反らすように伸ばした。
どうかしたら折れ曲がりそうになるひざ裏を。
日にあたることのない太腿の裏側を。
すべて男の目に晒しながら、お尻を高々と掲げた。
身体中に満ちてくる羞恥心を堪えて突き出した。
そのまま、ゆっくりとスローモーションのようにお尻を左右に動かした。
河添を満足させるために振った。
お尻を右に傾けて左にも傾けて……
きゅっと割れ目の筋肉を引き締めて……
河添の言う熟れた女を意識して……
熟した典子の肢体を意識して……
「もっと足をひらけ!」
「熟れた典子のオマ○コを晒すんだ!」
「ケツ文字で、『の』の字でも描いてみろ!」
「いいぞ……今度は、『めすいぬ のりこ』だ! ははははっ……ははははっ……」
背中越しの男から次々と残酷な指示が飛ぶ。
私は抵抗することなく、反抗することなく、躊躇することなく従っていく。
窓に映り込む典子を見る。
前歯を少し覗かせて、くちびるを半開きにして。
それは、今まで意識したことのない男をねだる女の顔。
そして、その表情に自分を納得させて両足を開いた。
夫と営む行為のための器官を、自ら露わにする。
頭のなかで、忘れかけた平仮名の『の』を思い浮かべる。
ひざを屈伸して準備運動のように腰を大きく回転させる。
とめ、はねを意識して、お尻で書道する。
次の文字は長いのに、男が下卑た掛け声を放った。
下卑た声で笑い掛けた。
そんなことをされてたら困るのに……
ほら……バカな典子のおつむが、平仮名全部を忘れそうになってる。
えーっと、確か……『めすいぬ のりこ』……だったわね。
でも、のりこって誰だろう? わからない?
典子のおつむってバカだから、これで助かったのかな?
無心になって文字を描いていった。
私から見ることのできない空間に、お尻という筆をつかって、まずは『めすいぬ』って……
そうしたら、なぜなの?
男の目に晒された典子の大切な処が、急に熱く火照ってきて、私は冷ますように続きの単語を描いていく。
さっきよりも、もっと腰を大きく振って、大胆なお尻の筆の書道で……
『のりこ』って……