第10話
有里はへこたれない だから今は……
9月8日 月曜日 午後3時30分 早野有里
「青い海に青い空、それに夏の強い日差し。こんな環境で、男と女の愛の営みを堪能できるとは、感激ですねぇ。ね、有里様もそう思うでしょ?」
「……そうね」
わたしは素っ気ない返事をすると、乱れた水着のまま平たい岩の上に腰かけた。
結局、副島の話はデタラメだった。
行為が終わったわたしの耳に飛び込んできたのは、副島の軽蔑したような高笑いだった。
わたし……騙されたんだ。
わたしの羞恥心を、この人は利用したんだ。
それなのにわたしは……
最後は自分から腰を振って、ふしだらにアソコを絞め付けて、恥ずかしい声まで……
お日様の下でセックスさせられて、絶頂しちゃうなんて。
そんな情けない思いをごまかそうと、視線をなんとなく浜辺へと向けた。
さっきまで砂浜にいた数人の人影も、いつのまにかいなくなっている。
太陽の角度も、ここに来たときよりずっと西に傾いている。
あらっ、あなたは……?!
わたしが腰かけている岩の上を、カニさんが横歩きしている。
それも、2匹が手をつなぐようにして……
あなた……恋人がいたのね。
わたしは立ち上がると、もう一度カニさんのカップルに視線を落とした。
ごめんね。大切な行為のジャマをしちゃって。
今から夫婦の営みを始めるんでしょ。
ふふっ、安心して。
わたし、覗いたりしないよ。
もちろん、悪戯もジャマもしない。
だって、副島が話してたカップルって、あなた達みたいだからね。
……ただ、一言だけ忠告してあげる。
そのベッド、あなた達には大き過ぎると思うよ。
そういう行為は、目立たないようにひっそりと……ね。
……お幸せに、カニのカップルさん♪♪
「なんだか、熱くなってきちゃった」
わたしは独り言のようにつぶやくと、腰にまとわりつく水着を脱ぎ捨てた。
「う~んっ、気持ちいい♪」
そして裸のまま両手を思いっきり青空に突き上げて、背伸びをする。
目の前で、副島が目を丸くしている。
横沢さんは、黙々と後片付けをしている。
きみは……ニターッていやらしい目で、わたしを見ている。
「せっかく海へ来たんだから、泳ごうかな?」
わたしは振り返らずに、岩場から足を降ろしていった。
じゃぼんッ……
「ひゃんっ、冷たくて……気持ちいい♪♪」
真っ赤に焼けて火照った素肌を、海水が心地よい温度で包み込んでくれる。
水に身体を慣らしたわたしは、沖に向かって泳ぎ出した。
島影も何も見えない、コバルトブルーの彼方を目指して、イルカさんにでもなったつもりで泳ぎ続けた。
波が出てきたのか、時々それを頭からかぶった。
塩水に目が沁みて、鼻の奥が痛い。
岩場の方から誰かが声を上げている。
わたしの泳ぎに声援を送っているのかな?
それじゃあ、もう少しサービスして泳ぎを見せてあげる。
一層のこと、このまま体力の限界まで泳いでみようかな?
後のことなんて、今は考えたくないしね。
さらに沖へ向かった。
目線の下半分を真っ青な海が……
上半分に、白い雲を浮かべたまだまだ夏の真っ青なお空が……
生まれたままの姿で泳ぐのって、気持ちいい。
全身を優しい海水に包まれて、これってお母さんのお腹の中と一緒だったりして……
どこまで泳いだんだろう?
さっきまで聞こえていた、誰かの声ももう聞こえない。
さすがに疲れてきたから、泳ぎをクロールから平泳ぎに切り替えてみる。
両足を大きく開いて、推進力をつける。
ここまで来たら、もう人の目も気にならない。
……そうよね、有里?
「……人の目……ね」
有里は、まだそんなもの気にしてるの?
さあ、もっともっと泳ぎましょ。
あなたの体力なら、10キロでも20キロでも遠泳なんて簡単でしょ?
泳いで泳ぎまくって、あんな男達からオサラバするのよ。
しがらみも何もない世界へ飛び出そうよ。
心の中の解放的なわたしが呼び掛けてくる。
もっともっと沖へと誘っている。
でも……でも……?
むき出しの下半身を拡げるたびに、胸の奥がチクリと痛んだ。
人の目のない海の真ん中なのに、どうしてかな?
それとも……?
わたしには、まだ羞恥心が残っていたのかな?
有里には、まだまだやり残した何かが残っている?
舞衣。千里お姉さん。お父さん。お母さん……そして、嫌な男達以外のみんな……
わたしは泳ぎを止めると、岸を振り返った。
岩場も、白くて大きな砂浜も、今では長く続く海岸線の一部分でしかなくなっている。
ちょっと泳ぎすぎちゃったかな。
……そうよね。
もしわたしがここで遭難でもしたら、大変なことになるかもしれない。
救助された美少女は、生まれたままの姿でしたって、報道されたりして。
そうなったら、有里の顔写真を見た人達が一杯押し寄せて来て、この日本にこんな美少女がいたのかと、全国中で話題になって、今流行の『美しすぎる遭難者』とか……?
……ちょっと疲れたかな。
……やっぱり、帰ろう。
わたしは、岩場に向かって泳ぎ始めた。
ちっぽけなケシ粒みたいな人が、手を振っている。
多分副島かな。
あそこに戻れば、また地獄が始まると思う。
そんなことは、百も承知。
でも、逃げてはいけなかったんだ。
だってわたしは……
どんなことにもへこたれない、早野有里だから……
……あれぇ、迎えに来てくれたの?
でも大丈夫?
きみ、かなり疲れているよぉ。
よかったら、わたしに掴まりなよ。
きみひとりくらいなら、なんとかなるしね。
……ごめんね。きみにまで、迷惑かけて。
わたし、もっともっと強くならないといけないよね。
あっ! 横沢さんも泳いできた。
わたしのこと心配してくれたんだ。
「ごめんなさい、横沢さん」
それじゃあ、きみは横沢さんの肩に掴まって?
……傷?!
……あれっ、その傷跡?
横沢さんのたくましい背中に残る大きな傷跡。
横沢さんの右肩から背中の中心にかけての傷跡を目にしたとき、心の深いところで何かが蠢いた気がした。
なんだろう?
わたし……なにか……大切なこと……忘れている……
元の岩場に帰って来た。
岩の上から副島が、面白くなさそうに見下ろしている。
「ご迷惑をおかけして……申し訳ございません」
わたしは、海の中から小さな声で謝った。
それでも副島の表情は変化なし。
結局、この人だけ知らん顔だった。
ちょっとくらい心配してくれても、罰はあたらないと思うけどね。
だって、わたしの身体で一番愉しい思いをしたのはこの人なんだから。
「ああ、そうでした。有里様に忠告しておくことがありました。そこから、早く上がった方がいいですよぉ」
面白くなさそうだった副島の目が、急に悪戯っ子みたいに輝いた。
「えっ?! な、なに……?」
意味も分からず、周囲を見回してみる。
岩場に打ち寄せる波が白い泡を伴って漂っている……だけ?
そうしたら、突然下半身にピリッと痛みが……?!
「いたあぁぁぁぁぁーぃっっ……!」
お尻をくらげに刺されたぁっっ……!