第4話
有里って、ハシタナイの?
7月18日 金曜日 午後9時45分 早野 有里
「あー、サッパリした」
汗でべたついた肌がお風呂で清められたみたいで、心まですっきりする。
特に、お風呂上がりの桜色の肌から立ち上るほのかな石鹸の香りは、なんとも言えない。
我ながらうっとりとしてしまう。
なんだか今日は開放的な気分……
わたしは素肌に下だけ身に着けると、その上からバスタオルを巻いてリビングに入った。
「もう、有里! また、そんな恰好で……年頃の娘がすることじゃないわよ」
案の定、怒られた。
「大丈夫よ、お母さん。誰も見てるわけじゃないし……それに、ほら。下はちゃんと穿いてるんだし」
わたしは、わざとタオルの裾をひらいて腿のつけ根まで露出させた。
「やめなさい! もう、あなたって子は……ほら、ご飯ができているから、早く服を着なさい」
「はぁ~い」
今日のわたしは何か変……
勘違いしないでよ。
普段はもっとお淑やかなんだから……
服装だって、よく友達に地味だと言われる。
夏の暑い季節でも肌の露出はなるべく控えるように、長袖のTシャツにジーンズが定番のスタイル。
ミニスカートや、ちょっと露出っぽい服も持ってはいるけど、身に着けることはほとんどない。
以外でしょ。
明るくて身体を動かすのが大好きで、そういう女の子は大胆な衣装も平気って……
みんなはそう思うかもしれないけど、わたしは全然平気じゃない。
どうしてかな……?
肌を見せるのに、ちょっと抵抗があって……
別に羞恥心が異常に強いってわけじゃないよ。
ただ、好きな人ができたら、わたしも変わるかもしれない。
それだけに今日は特別だと思う。
「もう、お腹ペコペコ。いただきまぁ~す」
わたしは母と向かい合うように席に着くと、あいさつもそこそこに食事を始めた。
お腹のムシが、耐えきれないようにまた鳴いた。
時刻は午後10時。他の家と比べれば結構遅い夕食。
でも、わたしがバイトを始めてからはずっとこの時間。
お母さんには気を使わせたくなかったから、先に食事するように頼んだこともあったけど、バイトが終わるまでいつも待っていてくれた。
そして、帰宅時間に合わせて食事の準備をしてくれる。
ありがとう、お母さん。
わたし「いただきます」の後に、いつもこう言っているんだよ。
でも、口には出さないようにしている。
だって気を使わせたくないからね。
「それにしても、毎日暑いわね。有里も身体には気をつけてね」
「うん……気を付ける」
わたしはお腹のムシを退治しようと、口をモゴモゴ動かしながら曖昧に返事をした。
「あなたにもしものことがあったら、私……」
「大丈夫よ、お母さん。バイトにも慣れてきたし、それにおじさんや店に来るお客さんもいい人ばかりだから、心配しないで」
なーんか嫌な予感がする。
もう少し気の利いた返事をすれば良かったかな。
「ごめんね……有里……」
……やっぱり! お母さん、涙ぐんでる……!?
どうしようかな。ここはなんとか穏便に……
「やだなぁ、そんなことで謝らないでよぉ。ちょっと照れくさいじゃない」
「うっううぅぅぅっ……」
だめだ、泣きやんでくれない。
こうなったら奥の手でも……
うん。ちょっと恥ずかしいけど……やってみますか……!
「もう、お母さんったら……わたしの体力を甘くみないでよ。さあ、有里の右腕にご注目……中学、高校と鍛えに鍛えたこの身体。見よ! この力こぶ……!」
わたしは、袖をまくる仕草をしてひじを曲げた。
……我ながらやっぱり恥ずかしい。
「ふふっ……有里ったら……」
でもよかった。ちょっとだけ笑顔が戻って……
わたしは、気付かれないように母を見つめた。
お母さん、あんなに白髪あったかな。
髪の生え際に、白いものが目立ち始めてる。
それに、あまり笑わなくなったよね。
……やっぱりお父さんの入院のせい?
でもね、そんなことひとりで抱え込まないでよ。
娘のわたしにも、もっと相談してよ。
……これじゃ、こっちまで悲しくなる。
わたしは母から顔をそらすと、思い出したように話題を変えた。
「ところで、お母さん。今日もお父さんの見舞に行ったんでしょ。具合の方はどう?」
お父さん、ごめんね。
これって、突然振る話題じゃないよね。
わたしは胸の中で父に謝罪しながら母の様子を窺った。
「ううん、昨日と一緒。目は開いているんだけど、お母さんが呼び掛けても何も応えてくれない。でもね、松山先生の話だと、少しづつでも良くなっているらしいわ」
「良かったじゃない。先生がそう仰るんだったら、わたしも安心。それにお母さんの呼び掛けも、お父さんの耳にはきっと届いていると思うよ。ただ身体が動かないだけ。あさってはお店の定休日だから、わたしも一緒に行くね。お父さんに会うのも1週間振りね……早く会いたいな」
「そうね。日曜日にはふたりで行きましょう。きっとお父さんもびっくりするわよ」
お母さんが笑っている。
もう大丈夫。元気を取り戻したみたい。
さすがは夫婦の絆。御見それしました。
……でも、わたしは複雑な気分。
母が話した松山先生って、お父さんの担当医なんだ。
お母さんは信頼しているけど、わたしは苦手。
初めて会った時から、なんかこう……身体を舐め回すような視線にビクッとなっちゃって……
きっとわたし、あの先生に会うのが怖いのかもしれない。
でも、こんなこと言ったら罰が当たるよね。
多分、わたしの思い過ごし……多分……
「あ、それと……並木のおじさんも心配していたよ。お父さんの容体と、お母さんにあまり無理しないようにって……」
並木のおじさん、ごめんなさい。
ついでみたいな言い方で……
「並木さんにも余計な心配を掛けちゃったわね。お母さんは大丈夫だから、有里の方から宜しく伝えてくれないかしら。それと、近いうちにわたしもお礼に伺うわね」
「えっ、お母さん来るの?」
「ええ、行かせてもらいます。娘の働き具合も見てみたいしね」
なんか最悪……
これも並木のおじさんをついで扱いにしたから?
でも良かった。
お母さんとこんなに長く話できて……
お父さんも、早くこんな会話に加われたらいいのにね。
わたしは、父がいつも座っていた椅子に視線を落としてから、リビングの本棚に目を移した。
その棚には、家族三人の思い出が詰まった写真立てが飾られている。
父と母と私が三人並んだ状態で、高原の湖をバックに撮った記念写真。
父と母の笑顔が眩しくて懐かしい。
お母さんの代わりに、わたしの涙腺が緩んできちゃった。